「2週間で小説を書く!」の実践練習第6回目です。

2週刊

第6弾「一瞬を書く」

 

文章には長い年月を一瞬のように書くこともできるし、逆に一瞬をスローモーションの映像のように書くこともできる。つまり時間の長短を、現実に逆らって自在に操れるのが文章の特性なのである。その能力を意図的に用いて、各場面に流れる時間を調整して構成を組み立てることが小説には必要だ。ここで行うのは、短い時間に起こった出来事を長く、あるいは制止しているように書く作業である。

(中略)

その「一瞬」を書くためには、そこに至るまでの流れを書くことが大事である。それをどう書くか。じつは肝心の「一瞬」よりも、そこへ誘導する文章のほうが技術が必要なのである。「それはある日の午後に起こった」というように、いかにも劇的な思わせぶりにならないよう、淡々と書くよう心がけてほしい。

 

作者はこの「一瞬を書く」を、本文中で古代ギリシアの「ゼノンの矢」という話に例えています。矢が的にあたるためには全体の半分の地点を通らなければいけないが、その前にそのまた半分の地点を通らなければならず、そのまた半分の地点を通るにはそのまた半分の地点を……と、考えていくと矢は空中で静止していることになってしまうというお話です。

 

つまり、小説とは「一瞬」をゼノンの矢のように無限に引き延ばすことができる、ということ。筆がのってくるとつい「早く先を書きたい」と急ぎすぎてしまい、数十年を数行で飛び越すなんてことをやってしまいがちですが(私だけでしょうか…)、そんなときこそ「ゼノンの矢」を思い出してみるといいかもしれません。

 

というわけで「一瞬」を書いてみました。

 

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「あっ」という声とともに、視線がばったりと合った。

ピンク色のクレヨンを手にした娘は驚いたと同時に顔をそらし別室へ逃げ込む。

見事なまでにスケッチブックと化したフローリングの床を、私は茫然と眺めるしかなかった。窓から差し込む西日が、いい感じにそれを“作品”と言わんばかりに照らしている。

10月で2歳を迎えたばかりの娘は、新生児の名残があるふわふわの毛先とまだ舌足らずな喋りが赤ちゃんっぽさを助長し、どうしても「まだ小さいから…」と何でもかんでも許されてきた。私が、そうしてきたのだ。しかしどうだろう。先ほどの娘の表情は、明らかに私の心を読み取っていたはずだ。「あっ」という短い言葉から瞬時にいろんなことを考え、そしてこれから起きるであろう自体を察知し、別室へ逃げたのである。

「やばい……」

誰に言うでもなく呟きながら、化粧ポーチの中を探る。確かクレヨンはメイク落としシートを使えばいいと、何かで見たのを思い出したのだ。頭の中は、もし落ちなかったら退去時にいくら請求されるのだろうか…という不安と、なんでクレヨンが娘の手に…という後悔でいっぱいだ。

「あった」

と、またも誰に言うでもなく口にして、はたと手が止まる。

何かがおかしい。

しんと静まり返った部屋には時計の針を刻む音だけが響いている。

何かが、おかしい。

娘が逃げたはずの寝室をそっと覗くと、今度はベッドのマットレスがスケッチブックと化していた。

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とある日常を切り取ってみました(※落書きは無事に消え、クレヨンは絶対に手が届かない場所に隠しました)。

 

ここで大事なのは「その一瞬の時間の記憶が、今も私の心に強く残っている」というような安易な「後書き」を書かないことです。完結させるのではなく、前後の切り口に接続が自由な平常さを設けておくことが大事だと、書いてありました。

 

「一瞬を書く」。

つまりは、しっかりと描写をするということ。過去に紹介した「天・地・人・動・植」を使うのも手かもしれません。

 

さて、次の課題は「人物スケッチ」。

どうなることやら!