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私たちは全体の前で沈黙を余儀なくされる。たとえば「全体」と口にした時点で、もはやすべてではなくなってしまうからだ。言葉はすべからく「分かつ」道具なのである。それでも私たちは言葉を使ってつながりあおうとする。わかりあおうとする。その営みの中で、言葉を武器ではなく、薬として用いる術を知り、口づけて、抱きあって、バターになって溶けあって、ハチドリになり、パブロ・ピカソになり、ひつじ雲になってたなびき、アレグロ・アンダンテとなってひびき、光になって、果たして全体と合一する。そして再び沈黙を余儀なくされるのだが、しかしいまひとたび言葉を発した私たちはその瞬間に、独立した「個」に戻るのである。そう、言葉とはつまり私であり、あなたであり、この世界である。私たちチカラは言葉の力で愛と平和を生み出すために、ここに集っている。

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