あなたね、ちょっとこの質問は酷すぎるというか、荷が重すぎるというか、うーむ、もう採用するの、やめようかな。いやいや、だってだよ、あの池上彰さんと竹内政明さんですよ。
まあ池上さんのことは多くの人がよく知っているだろうけど、竹内さんも新聞のことが好きな人にとっては超有名人なのです。
新聞の大手といえば日本では5紙。そこでコラムを書ける人は、毎朝5人ということになります。
何人で回すかは会社によって違いますが、2001年7月から一昨年まで、読売の朝の多くは竹内さんが書いていました。もうね、これがずば抜けてうまいわけです。「巧い」って書きたくなるくらいにね。
各社、選び抜かれた精鋭の、さらにその中の競争でトップに君臨したのが竹内さんだというのが、ぼくの認識です。時事を扱うときは数紙でコラムのテーマがかぶることがあるんだけど、そんなときは読売以外のコラムニストが不憫でね。だって竹内さんの圧勝なんだもの。
実はぼく、今から5年ほど前に産経新聞の経営陣の一人から、こんな話を聞いたことがあります。
「ぼくだってね、いい文章が書きたくって新聞記者になったんだよ。でもね、竹内政明のコラムを読んだときにね、ああ、もうこれはダメだ、かなわないって思った。それで筆を折って、経営の道に進もうと決めたんだよ」
ね、そんな人が言及したテーマを、なんで、ぼくに聞いてくるんだよ。その本に書いてあることが正解ですよ……なんてことを言ったって、あなたは納得しないわけで、わかりました。腹をくくって、ぼくなりの見解を書いてみよう。
〝〟の真の呼び名とは?
まず、この「ちょんちょん括弧」という呼び方なんですが、ぼくは「ひげちょん括弧」って呼んできました。実に25年間。
「ちょんちょん」とか「ちょんちょん括弧」っていう人がいることには気づいていたし、「ダブルミュート」という、少し洒落た呼び名を持っていることも知っていました。
それで、あらためて検索してみると、
「ちょんちょん、ちょんちょん括弧、ダブルミュート、ノノかぎ、ひげ括弧、ひげ、鷹の爪、猫の爪」
ああ、いっぱいあるね。
そうそう、「ノノかぎ」って言っている人いたなあ。プロっぽいから真似しようと思ってたんだけど、ついぞ「ひげちょん括弧」から切り替えることができなかったんだ。
……ってちょっと待った。「ひげちょん括弧」がないじゃないか、ぼくの「ひげちょん括弧」が。
それでぼくは考えました。たぶん『日本語の作文技術』(本多勝一著)に、そう書いてあったんじゃないか、と。
それで久しぶりにこの本を手に取ったわけだけど「ヒゲカッコ(チョンチョンカッコ)」としか表記されていませんでした。
というわけで、「ひげちょん括弧」は、どうやらぼくが誤って勝手に作ってしまった呼び名のようです。はあ、恥ずかしい。気づかせてくれて、ありがとう!
書き手が立場を隠す手段に
ん? 質問?
ああ、そうでしたね。忘れてました。ごめん、ごめん。
じゃあ、せっかくだから『日本語の作文技術』の説明を紹介しながら、話を進めてみましょう。「本多勝一は左翼の物書きだから嫌い!」という人も少なくないでしょうが、しかし文章読本としては、この本、よくまとまっています。
ぼくが物書きとして働き始めた25年前、地方の経済誌の記者という仕事柄、実用的な指南書が欲しくて、探しまくっていた頃、当時の編集長から紹介された本がこれでした。芸術論ではなく、「わかりやすい文章の書き方」を追求した内容は、とても役に立ったし、この本で学んだ技術や論理は、いまでもけっこう使っているな、と実感しています。文章技術を高めたいという人は、読んで損はない。そう言い切れます。
さて、質問の「ちょんちょん括弧」について、『日本語の作文技術』ではこう説明されています。
(ここから引用)
なお、さきに「〝進歩的〟ジャーナリスト」とか、「このように不正確な〝引用〟をされると……」と書いたときに〝進歩的〟や〝引用〟のところでヒゲカッコ(チョンチョンカッコ)を使った。ヒゲカッコはこのように「本当はそうではない」ときとか、「いわゆる」つきのときに使われる。
(引用終わり)
確かにそうですよね。「進歩的と自分では思っているかもしれないし、称しているかもしれないけれど、私からすれば、むしろ遅れた考えを持った人と認識しているんですがね」とか「まあ、そういう不正確なやり方を、本当は『引用』などとは呼べないわけですけど、ここではあえて、皮肉も込めて引用と言っておきます」といったことですよね。
そう、面倒臭いのよ。この人、面倒臭い人ですよね。
これ、新聞のコラムや社説などで、よく使われていて、その場合はほぼ100%、「いわゆる」と読み替えればいいでしょう。個人的な感想を言うとすれば、こういう使い方に出合うとき「私、インテリジェンスが高いでしょ」というニュアンスを感じることがあって、うん、やっぱり鼻につきます。
また竹内さんが「逃げている」と言っているのは、ちょんちょん括弧という記号によって、「これは私の考えじゃない」というふうに、自分の意見であることをぼかすことができるからだと思います。ほら、「いわゆる改憲についてですが」と始めれば、真の意味での改憲ではなく、「世間で言われているところの改憲」というふうにワンクッション置くことができるでしょ。竹内さんはここに記者の覚悟の無さを読み取っていらっしゃるのだと思います。
掛詞に気づいてもらうために
あと用法として付け加えるとすれば、掛詞、シャレであることを知らせる役割もあるんじゃないだろうか。
(例文1)
「祭りの露店の中でもとくに人気を博したのは唐揚げで、まさに〝飛ぶように〟売れた」
えっと、これ、解説すると、唐揚げの材料は鶏であり、それは鳥の一種だから、飛ぶにかかっていますよ、という表現です。なんかシャレを解説するのって恥ずかしいですよね。いや、しゃれが面白くないって、これは例文ですから、あくまで。
で、これも「いわゆる」の一種だと考えてもいいかもしれない。「そのままの意味ではないから、読者であるあなたのほうで読み替えてくださいね」というメッセージ。それをちょんちょん括弧で表現しているわけです。
二重括弧の代用として、あるいは強調
ただね、「いわゆる」や「掛詞」の意味で使われるのは、ほとんどが新聞の記事の場合で、それ以外、つまり雑誌や小説、エッセイ、あるいはSNSの投稿などで使われるときは、「いわゆる」の意味などなく、単に「いくつかある括弧の一つ」として用いられているように思います。
括弧には「()、<>、[]、{}、【】〔〕……」などいろいろとありますが(調べれば、まだまだたくさんあるはず)、中でもカギ括弧に次いでよく使うのが二重括弧(『』)です。これは本や映画のタイトル、あるいは店名などに使うことが多いですよね。まあ、これも〝確固〟としたルールではなく(掛詞として使ってみた!)、媒体ごとに決まっているとか、あるいはライターがそれぞれ自分の基準を決めているのが現状だと思います。
二重括弧のもうひとつの用法にカギ括弧の中の括弧があります。
(例文2)
「なにか食べたいものあるかって尋ねたら、泉のやつ『なんでもいいけど、ステーキ』なんてこと言うからさ……」
(例文3)
「マイルス・デイヴィスの言葉に『学べ、そして忘れろ』という名言があるが……」
といったふうに使います。で、この括弧の中の括弧として、ちょんちょん括弧が使われていることが少なくないんです。例文3を使えば
(例文3#)
「マイルス・デイヴィスの言葉に〝学べ、そして忘れろ〟という名言があるが……」
となる。読者としてのぼくは一瞬、「いわゆる」をつけてみるんだけど、「他に意味はなさそうだ」と思い直すことになります。読者にとって、これは〝コスト〟ですよね(こっちは「いわゆる」の意味で使ってみた!)。
あと「強調」の意味で使われていることも多い。
(例文4)
君、それこそが〝真実〟なのだ。
わからなくはないけれど、
(例文5)
君、それこそが「真実」なのだ。
で十分だろう、と。「そんなの好みの問題でしょ」と言われれば、声高に言い返すつもりはありませんが、「でも、それ、少なくともぼくという読者にはコストになりましたよ」と心の中で呟きたい気分にはなります。
というわけで、まとめ。
ぼくはちょんちょん括弧を「いわゆる」の意味で使うことがある。でも、ちゃんと説明したほうがいい場合が多いので、実際に使用する機会はほとんどない。また、二重括弧や強調の意味で使うと、読者にわずかながらも混乱を与える可能性があるので使用を避ける。
以上の理由から、ぼくの文章には「ちょんちょん括弧」が少ないのです。まさに「ここぞ」というときに使いたいものですよね。
ちなみに「{}の括弧はどう使うんですか」などと聞かれても、ぼくは知りませんし、決めてませんし、そもそも使いません。論理的に説明できる人がいたら、ええ、すぐさま子分になります。