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[書く力]

No.16

Q&A

文章に関する悩みをズバッと解決!

Q.まとまりよくっちゃダメなの!?

河野彩香

もうすぐライター暦まる2年になります。

記事のなかで伝えるべき情報の優劣や

「書かないことを決める」など、

なんとなくですが、わかるようになりました。

 

でも、うまくいっているかというとそうではないのです。

最近、本当に最近、よく言われるのが

 

「綺麗にまとまりすぎている」

 

え! 綺麗にまとまっているのはいいことじゃないんですか??

 

「もっと情緒的に!」

 

じょ、情緒的にって具体的にどういうことですか!?

 

聞いてみると、文章が綺麗にまとまりすぎていて情緒がないので

読者の心にぐさっとささる記事になっていないらしいのです。

 

それでは「綺麗にまとまらないように」「情緒的に」

書くにはどうすればいいのでしょう。

というか、「情緒的な記事」ってどういう記事なのでしょうか。

A.あなたの文章に「敗北」の形跡が読み取れないから、だと思う。

どうしても、まとまっちゃうんですよね。おめでとう。えっ? そうそう、それ、褒められるべきことなんです。

 

この悩みを持ったということは、ずいぶんと「プロの書き手」に近づいてきた証拠。情報のプライオリティがつけられるようになって、プロットを組むのが早くなっただろうし、結論を先に決めて逆算的に論理を組み上げることもできるようになってきたんですね。だからまとまりの良い文章が書けているのでしょう。

 

唐突だけど、「みだら(淫ら)」の語源は「乱れる」です。乱れるためには、その前に秩序立った、つまり「整った」状態が必要です。はじめから混乱していたら、そもそも「乱す」ことができないから。

 

髪を美しく整えているから、後れ毛が「みだら」なのです。きちんと着物を着付けているから、はだけた瞬間が「みだら」なのです。そして、この「みだら」な状態、なんとも魅力的ですよね。

 

何が言いたいのか、もうあなたにはわかっているはず。そう、まずはまとまりの良い、秩序立った文章が書けない以上は、それを崩した魅力的な文章なんて書けないということです。

 

よかったですね。あなたは確実に大人の階段を上っているのです。

 

 

情緒的な文章って?

 

さて、ぼくはこれまで誰かに「情緒的な文章を書くように」と言ったことはありません。なぜならぼく自身が、いったいそれがどんな文章なのか、わかっていないからです。

 

まあ、でもそう言っていても仕方ないから、試しに書いてみましょう。

 

 

<例文1>

いやもう、この人って、すんごいお医者さんで、たぶん日本一の外科医じゃないかしらって私は思うのね。だって、経歴聞いたらすごいんだもん。私、くらくらきちゃった。それにね、めっちゃハンサムなの。さらにくらくらきちゃったわ。

 

 

うーん、もしこれが医療専門誌に掲載されたとしたら、読者はそれこそ「くらくらきちゃう」でしょう。あるいは情緒的ってこういうアプローチもあるかも。

 

 

<例文2>

この神社の二つ目の鳥居は私自身の情報を書き換えてくれる不可思議なゲートだ。くぐった瞬間に純乎たる空気を胸いっぱいに吸い込む。眷属たちの息遣いを脳裏で聞きながら、私は玉砂利の上をすべるようにして歩いた。

 

 

これを「○○ウォーカー」の原稿として送ったら、すぐさまボツですよね。「読者に必要な情報を書いてください」と一蹴されるに決まっています。

 

二つの例文を書いてみたけど、これが「情緒的な文章」なのかどうか、ぼくにはやっぱりわかりません。逆に言えば、そんなことはわからなくても、ライターとしてとくに支障はない、ということじゃないかな。

 

もちろん、情緒を育むことは文筆家として生きていく上でとても大切な営みですし、感情が揺れ動いたその軌跡が、行間に滲むのも事実です。ただ、今のあなたが直面しているのは、また別の問題だと、ぼくは思うのです。

 

 

紋切り型と戦え!

 

ところで、あなたは「綺麗にまとまりすぎている」という言葉で、いったい先輩から何を指摘されているのでしょう。

 

疑って欲しいのは、あなたの文章、それ自体が「紋切り型」になっていないか、という点です。たとえば同じ雑誌に記事を書き続けていると、一定のパターンが見えてきます。そこに落とし込めば、極端に言うと、なかば機械的、自動的に原稿が出来上がってしまう。

 

はっきりと言っておきたいのだけれど、このような術を知ることは、とっても大切です。まずは「型」にはまったわけだからね。一度、無理にでも自分を型にはめるという経験なしに次の段階に進むことはできません。よく「型があるから型破り、型がなければ形無し」と言われるのも、こういう論理でしょう。

 

ただ、流れ作業のようにして書かれた文章には、人を惹きつける魅力がないというのも、また事実です。読者は書き手の「肉声」が聞きたいからです。

 

そんなことは、誰でもわかってるんですよね。わかっちゃいるけど、締め切りは近づいてくるし、効率的に書ける能力があるわけだから、つい誘惑に負けそうになる。そんなときに限ってさ、紋切り型はいつだって、甘い言葉で囁きかけてくるんです。

 

「自分の言葉じゃなくてもいい。別に借り物でいいじゃないか。ほら、おまえの知っているあの構図を使えば、さっさとまとまるぞ。使え、使えよ、俺を」

 

でも、ここで耳を貸してはいけないんです。どんなに慣れた形態であっても、ちょっとした短い文章あっても、ぼくたち書き手は紋切り型を組み伏せて、自分の言葉を探さなきゃならないんです。

 

 

常に敗北するのが文章だ

 

身も蓋もないことを言っちゃうと、紋切り型と格闘したとしても、実はぼくたち書き手に絶対の勝利はありません。「なんとか形になった」と思えたときでも、それはいつもセカンドベストであって、「もっと良い文章が書けたはずだ」という後悔が心からなくなることはない。

 

つまり、ぼくたちは文章に永遠に敗北し続けるのです。

 

こう言うと、悲しいことのように思えますが、描き出したい現実や対象物を、どうやって文章にしようかと、戦って、戦って、そのあがいた形跡、傷跡こそが、文章の魅力であるように、ぼくには思えるのです。

 

ちょっと抽象的すぎますか。たとえば、「イベントが目白押しだ」「誤解を恐れずにいうならば」といった表現は、金輪際使わない、と誓うことです。「すっぱい」とか「遠い」とか、「歩く」「寝る」「食べる」といった誰もが使う言葉だけで、自分にしか書けない文章を求めることです。

 

ああ、厳しいですよね。でも、だからおもしろいんだと思うんですよね、この仕事。ライターという仕事。

 

「さよならだけが人生だ」とは井伏鱒二の言葉ですが、「敗北だけが執筆だ」とでも言っておきましょう。

 

あなたの「敗北」を、きっとみんな読みたいんです。あなたの「みだら」をね。

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[書く力] No.17

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