なかなかリアルな質問です。とくに地方でライターとして活動する際には、いつかはぶつかる問題でしょう。
結論からすれば、これはケースバイケースと言うしかありません。メリットがデメリットを上回る場合にのみ、方言を使用すればいい。
まず、ぼくが考えるメリットですが
1)話者の個性が伝わる。
2)音としておもしろみを感じてもらえる可能性がある。
3)その言葉でしか表せない独特の語感を表現できる。
たとえば、
「いや、毎日暑いですね。こういう時は、クッと一杯、ビールを飲みたいところですが、さすがにまだ昼の2時ですものね。ああ、待ち遠しい」
というのを、博多弁に変換した場合、
「いやあ、毎日、暑かですな。こういう時は、くぃーっと一杯、ビールば飲みたかばってん、さすがにまだ昼の2時ですけん。ああ、待ち遠しかあ」
などと書けば、地元のおじさんの雰囲気は出しやすい。音としては「飲みたかばってん」あたりは、実際に発音してみたくなるリズム感があります。
この例文では博多弁をよく知らない人でも、ほとんどの日本人が理解できそうです。なので、3)のメリットは実現しません。ただ、このメリットを享受することは「諸刃の剣」であることを次に説明します。
「いぼる」は「いぼる」以外にない
たとえば博多弁には「いぼる」という表現があります。標準語で一番近いのが「ぬかるみにはまる」だと思いますが、はまるのは「ぬかるみ」に限るわけではありませんし、「いぼる」にはズブズブとシズでいくイメージが伴います。
使ったことのある人にとっては、他に代え難い言葉であり、「いぼる」でしか表せない独特の語感があるんです。
「ほら、そっち行ったら、いぼるぞ」
これ、ぼくにとっては「ほら、そっち行ったら、ぬかるみにはまるぞ」と、緊迫度がまったく違う。その表現でしか伝わらない何かが伝わる、というのはメリットですよね。
わからない人にはわからない
一方でデメリットと考えるのは、大きく2点。
1)方言を理解できない。
2)読みづらい。
先ほどの「いぼる」の例で言えば、博多弁をよく知っている人にしか、意味が伝わりません。
読者が理解できない言葉を使うことは、ほとんどの場合、マイナスです。となれば、読んでも意味が想像できない方言を使うのは、かなりのリスクを覚悟しなければならない、と言えます。諸刃の剣と言ったのはこのことです。
次に読みづらさ。以前も紹介した『日本語の作文技術』(本多勝一著:朝日新聞出版)に例文としてあげられている朝日新聞の記事を見てみましょう。
「どっこにもかあちゃんひとりしかいじましたおったおいいま、だれもおどごあどあいねごっだそたにも。なにへでよべえっとぁへってありってもいいごっだ、アハハ」
うん、これは読みにくい。これをいくつかの文章技術を使って、わかりやすくしたのが次の文。
「何処にも母ちゃん一人しかいじましたおったおい今、誰も男ァどァ居ねごっだソタニモ。なにへで夜這えっとァ入って歩ってもいいごっだ、アハハ」
どうでしょう。ずいぶん、わかりやすくなりましたね。同書には「出かせぎでどの家も男たちがいなくなったから夜這いにはいっても何でもない」という意味だと解説されています。
新聞に掲載されたのは、ほとんど平仮名だけの文章です。この記事を書いた本多氏には、岩手県の老婆は、「これくらいわかりにくい言葉で話すことを表現したい」という意図がありました。つまりメリットで挙げた点を重視したわけですね。
でも、そうした明確な意図がない限り、理解しづらく、読みづらい方言を使うのは、得策とは言えません。意味がわからないというのは、読者にとって最大級のストレスですもんね。
おまけ
ぼくが「ちょっとしたお遊び」として、博多弁で書いた記事のリンクを貼ってきます。
「豚足スープ」と「塩やきそば」は中洲・珉珉だけの絶品大衆中華たい!
これが成功していているどうか。一読者としてシビアに判断してください。