「盗作」とか「パクリ」なんてのは、書き手が最もやってはいけないことです。
しかし、大塚氏は「誤解を覚悟で記せば、「盗作」こそ物語るための基本的な技術」だと考えています。
どういうことだろう……?
唐突ですが、ここでかの有名な手塚治虫の漫画「どろろ」のストーリーを見てみましょう。本の中では下記のように整理されています。
(※あくまで作中の出来事を時間軸に沿って並べ替えています)
①百鬼丸の父親は領主である
②百鬼丸は身体の器官が48カ所欠けた異形の赤子として生まれる
③父親は自分の権力欲を満たすために生まれてくる子どもの身体48カ所を48匹の妖怪にいけにえとして差し出した
④百鬼丸は川に流される
⑤百鬼丸は世捨て人の医者に拾われ義手義足を作ってもらって人間の形となる
⑥百鬼丸は医者の死の直前、出生の秘密を知る
⑦百鬼丸は奪われた身体をとり戻すため旅立つ
大塚氏は、「どろろ」のストーリーを真似して「魍魎 戦記摩陀羅」という漫画の原作を作ったそうです。そのストーリーはこんな感じ。
①マダラの父は“始まりの大陸”の支配者ミロク帝である
②マダラは身体の中にある超能力の源である8つのチャクラを奪われたヒルコとして生まれる
③ミロク帝は息子の超能力を恐れ、8つのチャクラを8匹の魍鬼に封じた
④マダラは川に流される
⑤マダラはヒジュラ人の村に流れつき錬金術師のタタラに育てられる
⑥マダラが生きていることがわかり村は襲われ、マダラは出生の秘密を知る
⑦8つのチャクラをとり戻し、ミロク帝を倒すためマダラは旅に出る
に……似ている!
しかし、キャラクターの名前もデザインも、舞台となっている時代も違います。それなのに2つの作品は誰がどう読んでも似ているのです。大塚氏が意識して書いたのですから、当然といえば当然なのですが。そこで今度は、2つの作品からなるべく具体性を取り除き抽象化してみると……。
①主人公の父親はその社会・集団の権力者である。
②主人公は人間として不完全な形・姿で生まれる
③何故なら父親が息子の能力を恐れもしくは権力欲から、第三者にその能力を奪わせたのである
④主人公は捨てられる
⑤主人公は生まれた場所から遠い場所で世捨て人に育てられる
⑥成長して主人公は自分の血筋を知る
⑦奪われた力をとり戻すために旅に出る
こうなるのです。
大塚氏は「このようにいくつかの物語をどんどん抽象化していくと物語の表面的な違いが消滅する水準があります」と話します。これを、物語の「構造」とか「形態」と呼ぶのだそうです。
このことについてはウラジミール・プロップというロシアの民俗学者が「昔話の形態学」という本でさらに詳しく語っているのですが、その話はまた別の回で。
物語の構造を体の中に叩き込むべし!
「どろろ」と「摩蛇羅」をさらに抽象化してみると、こうなります。
①英雄は、高位の両親、一般には王の血筋に連なる息子である
②彼の誕生には困難が伴う
③予言によって、父親が子どもの誕生を恐れる
④子どもは、箱・かごなどに入れられて川に捨てられる
⑤子どもは、動物とか身分のいやしい人々に救われる。牝の動物かいやしい女によって養われる
⑥大人になって、子どもは貴い血筋の両親を見出す。この再会の方法は、物語によってかなり異なる
⑦子どもは、生みの父親に復讐する
⑧子どもは認知され、最高の栄誉を受ける
この「常人と異なった生まれ方をしたがゆえにその子どもは超人的な力を持つ」という設定は、物語の基本中の基本だと大塚氏。確かに、誰もが知っている名作「一寸法師」や「桃太郎」はまさにそうですよね。また、世界中で愛されている「ハリー・ポッターシリーズ」の主人公・ハリーにも同じことがいえます。
実はこの①~⑧は何も「どろろ」と「摩蛇羅」を抽象化したものではなく、オットー・ランクという研究者が古今の「英雄神話」に共通する構造を抜き出したものなのだそうです。それなのにさまざまな作品があてはまるということは……そう、あらゆる物語は抽象度をあげていくと「英雄神話」という人類普遍の物語の構造にいきついてしまうのだということ。
大塚氏は本書の中で「ぼくが「物語」の技術として「盗作」を重要視するのは一つにはこのような意味に於いてです。既存の物語を「構造」の水準で「盗作」することでぼくたちは無数の新しいバリエーションを作り出せるのです」と書いています。
「外国語を覚える場合、ぼくたちは「文法」という規則を学習します。母国語の場合は親や周囲の人々からの「口移し」でことばを覚えることで意識せずに「文法」に従ったことばを操られるようになります。「盗作」という創作方法は後者に近い、いわば「口移し」で物語の構造を内在化していく方法だ、といえます」(一部抜粋)
ずばり、大塚氏のいう「盗作」とは「物語の構造を体験してみる」という行為なのです。
まずは「英雄神話」の構造を盗作し、物語を書きあげる体験をしてみる。
「口移し」で言葉を覚えるのと同じように、何度も何度もこのトレーニングを積み重ねることで、みるみる物語がつくれるようになるのです。
何だか、書けそうな気がしてきました。