今回もひきつづきこちらから。
「第二章 創作の技術」には「文字のない時代にも、物語はあった」と書かれています。
例えば15世紀末から16世紀初めに現在のペルーを中心に繁栄したインカ帝国は文字を持たなかったが、神話はあった。縄文時代にも文字はなかったが、神話はあった。その証拠に、とある土器には男女二人や、弓と矢と熊と森が描かれているといいます(夢枕氏いわく、男と女というのがすでに神話的だ、と!)。
なぜ、文字がないのに物語はあったのか。
それは人間というのは元来、脳が物語をつくるようにできているからです。
なんでも、これは脳科学の研究者も言っていることだといいます。
だから、小説家に特別な才能があるわけではないのだと、夢枕氏。
うーん。本当かなあ。
それを裏付ける本を読んでみました。
「つぎはぎだらけの脳と心」
ここにも、人間とは脳のレベルで物語を作ることを宿命づけられていると書かれています。
例えば人間は、物を見る際に目がせわしなくあちこちに動く「サッカード」という現象を起こしている。しかし、私たちは眼球があちこち動きまわっているなどということは意識せずに、物の映像が普通に見えている。これは脳が、目が動いている間に送られる情報は無視して、この結果できた隙間を、目の動きが止まってから得られた情報で埋めているからだという。これは、「クロノスタシス」と呼ばれる。
このクロノスタシスは、視覚だけでなく、感覚一般に広く見られる現象である。「そのまま情報を受け取っていては混乱が生じそうな時、脳は情報をシャットアウトする。そこで生じた空白を、後から得た情報で埋めるのだ。この機能により、脳は私たちに首尾一貫した、意味のある物語を見せることができる。
また、脳の中でも左脳に物語の作成機能があることが、脳に損傷を受けた患者の観察によってわかっているそうです。
例えば、「前向性健忘」という、最近の出来事に関する記憶を蓄積できない病気にかかった人は、昨日の記憶がないのに古い記憶の断片を繋ぎ合わせて首尾一貫した物語をつくりあげるように、脳が働きかけるといいます。
そういえば、寝るときに見る夢の内容は、我々の中に眠っている感情を引き起こしていると言われています。つまり、夢を見ている時点で、物語をつくる技術があるということなのかも……?
大塚氏も「小説は誰にでも書ける」と言っていますが(詳しくはこちら)、脳の視点で考えたときにも「人間にはあらかじめ物語をつくる技術が備わっている」となると、何だかますます書ける気になってきました。
「自分には物語は書けない」と考えるのではなく、物語をつくる能力はそもそもあるのだから、いかにそこを伸ばすかが重要というわけですね。