1年半ですか。
順当に成長していれば、文章を書くことが、すごく重たくなる時期を経て、ようやく楽しくなってくる頃ですね。
書ける気になって高々になっていた鼻っ柱を折られて、いったん自信が地の底深くまで落ちた後、だんだんと骨が繋がってきて、「あれ? 折れる前より、ちょっと美人になったかも?」という時期。
自信がマイナスからプラスに転じる頃。となれば、技術論にも興味が出てきますよね。
その編集者、さぼってない?
さて、「形式は自由で」と言われたわけですね。うーん、まず、このことから考えてみましょう。
ぼく自身は25年間、文章を書く仕事をしていますが、「自由に」と言われたことはほとんどありません。いや、いま一所懸命に思い返しているけれど、1回もないんじゃないかな。
もし、プロの編集者から、同じことを言われたら、ぼくは懐疑的になります。
なぜなら執筆の前段階である取材の、そのまた前段階の「企画」において、読者が意識されていない可能性が高いからです。逆に言えば、読者の属性が明確になっていれば、どのような形式(文体)になるかは、おのずと決まる。
「形式は自由で」と言われるとしたら、その編集者は企画段階で「読者の想定」という、最も重要な仕事を放棄しているのではないか。ぼくはそう考えるでしょう。
もちろん、相談されることはあります。たとえば新コーナーを作るときなんかに、編集者と「どういう形式がいいか」と語り合うことは珍しくありません。その際はそれぞれの形式のメリットがわかっていないと意見できないわけで、今回はそういうシーンで、ぼくがどう考えているか、を考えてみます。
余談ですが「自分がどのように考えるのか」を「考える」機会というのは、こうして質問をされないと、なかなか訪れないものです。これだけをとっても「尋ねてもらう」というのが、どれだけ価値のあることかがわかりますよね。
ぼくたちはライターであり、インタビュアーでもあります。人に物事を尋ねる仕事って、この一点だけをとっても素晴らしいと言える。そう思いませんか。
一問一答のメリットは客観性と関係性
インタビュー記事を書くときに、最も適した形式を選択するためには、それぞれの特徴を知っておかなければなりません。
まず、一問一答。対談もここに含めて考えます。
<例1>
―― 今期の決算についてお尋ねします。
田中 売上高が対前年比12%増の約28億円で、経常利益は同8%増の約3億2400万円でした。
―― 増収増益となった理由を教えてください。
田中 最も大きな要因はネットでの販売が好調だったことです。
はい。<例1>ですが、インタビュアーが客観的に質問していることがよくわかりますよね。この場合、質問は可能な限り簡潔にまとめます。
インタビュアーは記事を進行していく黒子でありながら、しかし、その存在によって、読者は安心して読み進めることができます。
<例2>
水島 元木さんが文章を書くときに最も大切にしていることって何ですか。
元木 それ、逆にぼくから水島くんに聞きたい質問だけど(笑)、そうだな、やっぱりリズムだと思う。
水島 え! それは意外。なぜ、そう考えるんですか。
元木 うーん、そこ、ほんとは秘密なんだけど、水島くんだから話しちゃおうかな。まず、文章が時間芸術だってところから考えてみるとさ……
次の<例2>は対談です。お互いの属性が明らかにされていて、基本的に何らかの関係性があることが一般的です(初対面であっても同業であるとか、あるいは特集のテーマに沿った人選がなされているとか)。
二人の関係性が明示されていて、その関係だからこそ出てくる質問や答を、リアルな会話形式で伝えらえる点が魅力です。
この例だと、たったこれだけの会話で、二人の仲が良いことがわかりますよね(まあ、それを意図して、ぼくが創作したわけですが……)。
あ、そうそう、「リアルな会話」と書きましたが、実際には対話を録音したものを文字起こしして、そこから取捨選択して、言葉を整え、ときには意味がわかりやすいように文章を追加したりして原稿をつくっていきます。
ただ、補足はしても、話者が「言っていないことは書かない」というのが基本です。ライターしては「もっとおもしろくするためにちょっとだけ創作したい」という誘惑にかられるのですが、これは絶対にダメです。もし、どうしても必要だと思うならば、本人に了承を得る必要があります。
あるいはこれが広告で「必要な情報は話したから、あとはジャンジャン盛り上げてね」といった指示があるのならば、クライアントのチェックもあることだし、もう思いっきり創作してもいい。
ただ、そうした例外を除けば、ライターが勝手に作ってはいけない。すごく当たり前のことだけど、あえて強調しておきます。そう、ご明察。実際には勝手に作ってしまう人が多い、ということです。
話がそれましたが、一問一答、対談のメリットは、「客観性を表現することができる」「リアルな会話を届けられる」「対話する二人の関係性を表せる」といったところでしょう。
あなたの言う「どこに何が書かれているのか読者が一目でわかりやすい」というメリットについては、ぼくは正直、よくわかりません。質問だけに注目して、読みたい項目だけを読んだりします? ぼくはそんな読み方をしたことがない。
その人になり切って書く一人称
次に「ひとり語り」、つまり一人称で書く場合を考えてみましょう。
<例3>
文章を書くときに最も気にしているのはリズムです。文章は時間芸術ですから、実は言葉の意味よりもリズム、つまり音楽性の方が重要だとぼくは考えています。
<例4>
文章を書くときに最も大切にしていること? そうだな、やっぱりリズムですね。だって、文章って時間芸術でしょ。だったら言葉の意味よりも、リズムというか、音楽性というか、そっちのほうが大切だと思うんですよね。
一人称で書く場合は、<例3>のように本人が書いたように書くことができます。この場合、「話し言葉」を「書き言葉」に変換することも、ライターの仕事となります。
もちろんインタビューが前提になっているので「ですます調」の話し言葉がベースではあるのですが、一問一答よりはずいぶん「書き言葉」寄りになります。
メリットとしては、「読者にインタビュアーの影を意識させない」「インタビュイーから直接、語りかけられているように感じてもらえる」「一問一答に比べて、少ない文字数で情報を伝えることができる」といったあたりでしょう。
ただし、<例4>になると、インタビュアーの存在が出ていますし、ほぼ一問一答形式と同じようなテイストとなります。一人称でありながら、少しくだけた感じを演出したい場合に選択するといいでしょう。
いずれにせよ、一人称で書くときは、インタビュイーにのりうつる、あるいはのりうつられるくらいの気持ちで向かいましょう。ぼくは女性の原稿を書くとき、普段の言葉も女性言葉に近くなったりしますのよ、うふ。
語り手が「私」になったら三人称
最後に三人称について。あなたが「ルポルタージュ」と分類している形式ですね。
<例5>
文章を書く際に最も大切なことは何か。「それはリズムである」と、ライター歴25年の元木哲三氏は語る。「文章は時間芸術ですから、実は言葉の意味よりもリズム、つまり音楽性の方が重要」と考えているからだ。
一目瞭然ですが、語っている主体はライターです。三人称というのは、インタビュイーが「彼」「彼女」といった三人称になっているからで、見方を変えればライターである「私」の一人称ということもできます。
私の文章なんだから、どんな構成にすることもできる。この自由度の高さが三人称の魅力であり、メリットです。たとえば、
昨日、豆腐屋で厚揚げを買っているときに、ふとあるライターが語ったことを思い出した。
とかで始めてもいいわけです(誰も始めないだろうけどね)。それだけ自由度が高い。また、こんなふうに「インタビュー以外の内容も折り込める」のも大きな特徴の一つですよね。
自由度が高いということは選択肢が広がるわけで、あなたが「一苦労しそう」と感じているのは、最適解が見えにくくなるという意味で、まあ当たっていると思う。自分の言葉で語るわけだから責任も重たいよね。
でも、だからこそ書き甲斐があるので、積極的にチャレンジして欲しいと思います。
もちろん、高度だから三人称を常に選ぶべき、と言っているわけではまったくありません。
なぜなら、それがどんな媒体で、読者はどんな属性を持った人たちで、その人たちが何を求めているか。つまり「読者はどんな記事を読みたいのか」が最優先されるべきだからです。
で、結局、初めの話に戻っちゃうわけだ。「形式は自由で」というオファーが来たら、ぼくはきっとこう言うでしょう。
「読者が見えてない。あなた、無責任じゃありませんか」
あーあ、嫌われるなぁ。