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[書く力]

No.7

Q&A

文章に関する悩みをズバッと解決!

Q.ユーモアに潜む魔物

尋ねる人: 内川美彩

「文章の学校」受講生の誰もがぶちあたる講義が「ユーモアエッセイ」です。

文章が抜きん出てお上手な方が失敗していく様子を、何度もこの目で見てきました。

 

かくいう私も、ユーモアのある文章は苦手です。成功したことはないに等しいような気がします(それでいいのか、ライター!)。

 

面白く書こうとしてついはしゃぎすぎてしまい、あとで読むと恥ずかしくなるパターンがほとんどです。「これは面白く書けたぞ」と思ったものでも、「どこが?」と、読者が白けてしまうことも。

 

口頭で話す分には笑えるのに、いざ活字の文章になると???というパターンも結構あると思います。

 

いったい、何がそうさせるのでしょうか。

A.「私を見て!」から離れてください。

答える人: 元木哲三

これ、実はかなり高度な質問です。場合によっては「笑いとは何か」という、とんでもない難題になり得るからです。

 

故、桂枝雀師匠は、笑いは「緊張と緩和」で説明できると論じました。興味があれば、ぜひ調べてみてください。素晴らしい考察です。

 

ただ、ここでは「笑いのメカニズム」そのものには触れません。文章家がユーモアエッセイを書こうとするときに、注意すべきこと、考えておくべきことという視点で話を進めましょう。

 

 

話すと笑わせられるのに文章だと……

 

まず、質問の中にあった「口頭で話す分には笑えるのに、いざ活字の文章になると???というパターンも結構ある」という点から考えます。これ、なぜなんでしょう。

 

人と会って話す場合は、仕草や表情、声のトーンなど、言葉の意味以外のたくさんの情報を与えること、あるいは受け取ることができます。実は、人と話していて笑いが起きるときは、話の内容そのものよりも、そうしたノンバーバルコミュニケーション(非言語コミュニケーション)によるところが大きいように思います。

 

逆に文章では意味以外の情報を伝えることは、すごく難しい。相手(読者)に伝わる情報量が圧倒的に少ないわけです。もちろん「行間を読ませる」のが腕の見せ所ではあるんですが、そういう表現があること自体、文章にはノンバーバルな情報が少ないという証左です。

 

 

そもそも圧倒的に不利な状況からの勝負

 

また、対面でのコミュニケーションで、笑いが起きるような状況にある場合、相手とのラポールが築けていることが大半です。簡単に言えば、「昨日、おもしろいことがあってさ……」と言うとき、相手は家族や友人、仕事仲間のような親しい間柄であることがほとんどですよね。

 

だとしたら、相手はすでに「笑う態勢」に入っていると言えます。だって、そうした会話の目的は「おもしろい話かどうかをジャッジする」ではなく、「相手との関係を良好にする」といった点にあるからです。語り手と聞き手は、初めから言わば「共犯者」なわけです。

 

一方で文章はどうでしょう。読者はそもそも「おもしろくない(役に立たない)文章ならば読みたくない」と思っている存在です。しかも、ラポールどころか、書き手のことなんて、知りもしない(だから不特定多数に向けた文章とSNSの投稿は求められるものが違うのですが、これはいつか別のところで論じましょう)。

 

書き手から見れば、基本的に文章なんて読みたくないと思っている見ず知らずの人に「おもしろいから笑ってくれ」とエッセイを手渡すような状況。これ、相手と親密で、かつ「その話、聞きたい。笑いたい」と思ってくれている状況に比べて、圧倒的に不利ですよね。

 

ユーモアエッセイを書こうとするとき、ぼくたち書き手はまず、「自分はこうした状況に身を置いているんだ」と認識することが大切だと、ぼくは思っています。それだけで謙虚になれますよね。

 

 

「はしゃいでる文章」とは?

 

さて、だとしたら、ぼくたちにいったい何ができるのでしょうか。なんだか自信がなくなってくる。いったい、こんな文章で人は笑うのか。悩みすぎるのも問題ですが、一度はこのように自省的に考えてみるといいでしょう。

 

いったい何ができるのか。ぼくの答えは「できることはないと悟る」です。あるいは「何かをしようと思わない」「笑わせようとすること自体をやめる」と言い換えてもいい。「笑わせよう」と思って書かれた文章は、ほとんどの場合、失敗するからです。

 

これ、すでにあなたの質問の中にありますね。「面白く書こうとしてついはしゃぎすぎてしまい、あとで読むと恥ずかしくなるパターンがほとんど」なのですよね。そう自覚できていることが素晴らしい。

 

さて、この「はしゃぐ」という表現は、チカラの社内の共通言語となっています。説明するより実際の文章を読んでもらったほうが早いと思うので、思いっきりはしゃいで書いてみましょう。

 

 

昨日、食べたハンバーグ。一口目でおったまびっくり!! 中からトロ〜リチーズが出てきて、「わわわ、なんだこれは! あちっ! あちっ!」と相成った。そう、驚いたのは味じゃなくて、チーズがすごーく熱かったからだ。思わず目を白黒させた私、びっくりしすぎて椅子からゴロリン、転げ落ちちゃいました。あはははは。

 

 

まあ、さすがにここまでのものは……と思いますよね。でも、「ユーモアエッセイを書いてください」という課題を出すと、一定の割合で、このレベルの作品が登場するんです。

 

で、ほら、ちっともおもしろくないでしょ。もう本人ははしゃぎまくっている。「これでもか、これでもか、ほら、おもしろいだろう」とニヤニヤしながら書いている様子さえ想像できる。でも、読者はまったく笑ってないんです。口角はむしろ下がっています。怖いですね。

 

言い換えると、これ、「おもしろいと感じた自分」を書いてしまっているんです。「こんなおもしろい経験をした私を見て!」という感じ。読者にとっては「知ったことか」ですよね。

 

 

あなたのまわりの「粗忽な人」を書いてみよう

 

大切なのは書き手がおもしろいと思った対象、事象を、読者に追体験してもらえるように書くことです。実はこれ、おいしいものを食べた話でも、美しいものを見た話でも同じなのですが、対象の美点を描こうという意識が大切。書き手が読者にどう思われようと関係ない。そう覚悟することが先決なんです。

 

じゃあ、具体的にどうすればいいのか。

 

あなたのまわりにおもしろい人がいるでしょ。そう、いま頭に思い浮かべたその人です。そのおもしろさをぼくに伝えるためには、何をどう書けばいいでしょうか。その人をしっかり観察して、決してはしゃがずに、言動を淡々と描き出してください。

 

これはとても良い訓練になります。「自分を見て!」という意識から離れる稽古です。その作品を「その人を知らない誰か」に読んでもらって感想を聞いてみてください。「興味を持った」とか「実物を見てみたい」などと言ってもらえれば合格です。

 

ユーモアについては、まだまだ切り口がありそうです。また、議論しましょう。

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[書く力] No.8

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