最初に洗うのは右腕からなんですね。右利きなのに、驚きです。普通、利き腕の右手にタオルなり、スポンジを持つでしょうから左腕からになるように思うけど。
そう思って検索すると、「お風呂に入ったらどこから洗う? 最初に洗うパーツでわかる性格診断!」なるサイトがヒットしました。
利き腕を最初に洗う人は、努力家で情熱的だそうですよ。利き腕と反対の腕から洗う人は、人の気持ちに寄り添うことができる優しいタイプなんですって。……いま、なぜか大きなため息をついてしまいました。
書く、見直す、見出しをつける
はい、診断はさておき、「文章を書く時の流れ」について話しましょう。文章を書くまでの準備というのはいろいろありますが、「いざ書き始めたら、とにかく最後まで書き通す」というのが重要です。それから推敲して、完成に近づいたら見出しなどをつけ、最後にもう一度、読み直す。
ここまでだと、あなたとほとんど同じですが、付け加えるならば、この後、「さらにプリントアウトして赤ペンを持って自分で校正作業をする」というくらいでしょうか。今回はやけにあっさり終わりましたね。
さようなら。
つまり見出しとはなんなのか
いやいや、この質問の本当に聞きたいところは、タイトルや見出し、キャッチ、小見出しを「いつ」つけるのか、ですよね。ぼくはすでに書いたように最後に入れます。その理由を考えてみましょう。
ぼくは広告の文章、つまりキャッチコピーを書くこともありますが、出版物などに比較的長い文章を書くことが多いので、ここでは「記事」を書くことを念頭に話を進めます。
一般的に読者は「見出し」→「リード」→「本文」という順番に読み進めていきます。見出しは一目でその記事に何が書かれているのかを伝える役割があります。「どこそこでマグニチュード6・5の地震」と書かれていれば、一発で内容はわかりますものね。
次にリードを読むと、とくにニュース記事では5W1H、つまり「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「なぜ」「どのように」したのかが、より具体的に書かれているはずです。もちろん、5W1Hのすべてが書かれているとは限りませんし、書かなければならないわけでもありません。文字数の制限と重要度の問題ですね。
さらに本文では、それらの詳細が綴られています。ここでは5W1Hがさらに具体的に明らかにされているでしょうし、理解が深まるような補足が書かれているかもしれません。
読者にとっては見出しで「大枠」を捉え、リードで「概略」を知り、本文で「個別具体的な情報」を得るという、とっても効率的な読み方ができるように構造化されているわけです。ニュース記事と書きましたが、基本的にはあらゆる記事に、この構造が当てはまります。
書くときは具象から抽象へ
また、この流れは、「抽象」から「具象」への移行として捉えることもできます。読むときはエッセンスから、だんだん具体的な内容へと進んで行く。
一方で記事を書く場合は、逆の流れになると思うんです。具体的事実を書き連ねた上で、「そのエッセンスは何か。最も端的に全体を表す文章は?」と考えるのが自然ですよね。たとえば抽象画を描くときには、具体的なモチーフが先にあって、そこからエッセンスを抽出していきます。まずは具象がないと抽象は起こらないはずなんです。
記事も同じで、まずは具体的なことをしっかりと書いた本文を作り、リードが必要な場合は、そこからいったん抽象して短い文章を作り、最後にさらに抽象した見出しを考えるという流れが基本となるでしょう。
ちょっと乱暴な言い方ですが、見出しとはつまり、その文章全体を最も短い言葉で「抽象」したものなのです。だから「一瞬でだいたいのことがわかる」わけですね。
見出しから先に付けるケース
もちろん、例外もあります。「もう、これ以外にない、という見出しを思いついちゃった。これについて書くぞ」と決めてから執筆、あるいは取材が始まることも考えられます。その場合も、ぼくは「仮題」としておいて、最後に本文としっかりと呼応している確認し、多くの場合、書き直します。
書籍のような長い文章を書く時には、この「仮題」は重要です。書き手がその本の最も重要なコンセプトを常に意識しながら書き進めるための道しるべになるからです。これも最終的には「より売れるかどうか」という視点での判断で変更になることが少なくありません。
また、芸能のゴシップ記事のように、「実際には誇張表現なんだけど、人の興味をそそるために、過激な見出しをつける」というケースもあるでしょう。この場合、必ずしも本文を抽象したものではありません。だとしたら「最初に見出しありき」というパターンも多いはず。ぼくは書いたことがないので、想像でしかありませんが。
これは文章の話ではありませんが、ぼくの尊敬するラーメン店『一風堂』の創業者である河原成美さんは、ラーメンをネーミングからつくることが珍しくありません。二枚看板である「赤丸」「白丸」も名前が先でしたし、たとえば創作ラーメンイベントでは先に「誕生」という名前を決めてから、どんな料理にするのかクリエイトしていくといった手法をよく用いていらっしゃいました。お店に関しても「名前が決まると全体の姿が見えてくる」とおっしゃっています。おもしろいですね。
具象と抽象の行き来が執筆なのだ
ぼくはここ数年、企業のブランドコンセプトをつくることが増えてきました。制作にあたっては、まず経営者や幹部、社員の方から、膨大な具体的情報を収集します。それがいったんカオスの海みたいに、あるいは魔女のスープみたいに、溶け合って、混ざり合って、その中から全体を表す「短いフレーズ(ブランドコンセプト)」を取り出す。そんなイメージです。
次にそのブランドコンセプトを端的に説明する「ステイトメント」を書きます。この場合、編集記事で使う言葉に置き換えれば、「見出し」→「リード」という流れになる。あれ、だとしたら抽象から具象になってない? じゃあ、これまでの議論は?
はいはい、大丈夫です。実はブランドコンセプトを制作する場合、頭の中やメモ書きにある、たくさんの具体的な情報が、いわば「本文」のようなものです。これらは羅列したり、マインドマップにしたりして、ひとつの文章にこそしませんが、何度もインプットします。そこからタイトルを導き出すと考えれば、同じような思考の流れをつくっているとも考えられるわけです。
というわけで、ぼくが最近、考えていることをこっそり教えますが、実は文章を書く前に、あるいは書きながら、ぼくたちの思考は具象と抽象の間をかなりの回数、行ったり来たりしているのではないか、と思うのです。
具体的情報を整理しながら、それぞれのパートを抽象的に捉えることができるから、プロット(文章の構成)ができるわけでしょうしね。と考えれば、見出しをつけるのは、具象と抽象の行き来の最終段階、最後の仕上げなのです。
見出し、小見出しをつけるのが速くなってきたら、文章力が上がっていると捉えていい。それだけ部分と全体が見えているということだからです。
余談ですが、多くの人がよく「見出しは苦手」と言います、あれは「文章を書くのが苦手です」と宣言しているようなものなので、とくにプロなら、もう二度と口にしないと誓いましょう。
もし、苦手意識があるならば、徹底して練習してください。そのためには「要約」が役に立ちます。え? 要約が気になる? おもしろく質問してくれれば、いつでもお答えしますよ。