悩んでいることがあります。よく「文章が硬い」と言われるのです。
「伝えることを自分自身で理解できてないからだ」と言われればそれまでなのですが、自分では相手が分かりやすい文章を書いていると思い込んでいるから、厄介なのです。
どうしたら「柔らかい文章」が書けるようになりますか。
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悩んでいることがあります。よく「文章が硬い」と言われるのです。
「伝えることを自分自身で理解できてないからだ」と言われればそれまでなのですが、自分では相手が分かりやすい文章を書いていると思い込んでいるから、厄介なのです。
どうしたら「柔らかい文章」が書けるようになりますか。
答える人: 元木哲三
そもそも、文章の硬軟って、どこで線引きされるものなんでしょうか。あるいは人から「文章が硬い」と言われるとき、実際には何を指摘されているのだと思いますか。「やわらかい文章」が書けるようになるのが、その解決策なのでしょうか。
質問からはそのあたりをどう考えているのかが汲み取れないし、つまりそれ自体が混乱していることの証左なのかもしれません。「まずはそこを見つめよう」と答えて終わりにしてもいいのだけれど、「あの人は冷たい」などと言われるのは避けたい小心者ですので、はい、一緒に考えましょう。
まず文体だと「である調」よりも「ですます調」のほうがやわらかくなりやすい。これは例文を作らなくても、直感的に理解できますよね。
漢字をどう使うか、というのも関係しそうです。「いわゆる」だって「所謂」と表記されると、なんだか硬く感じます。この「かたい」という言葉も、「硬い」「固い」「堅い」のほうが硬そうです。
編集の用語としては漢字をひらがなにすることを「ひらく」と言いますよね。ぼくが文章を生業にするようになって、たかだか25年ですが、その間にもずいぶん「ひらく」漢字が増えたな、と実感します。「見やすく」「読みやすく」「わかりやすく」しようという編集者の意思が高まってきたことを感じます。
さらに「かたい」を、「堅牢」「堅固」「強固」といった熟語にすると、もっと硬い感じがしてきます。もちろん、その熟語がまさにぴったり、だったらいいのですが、物書きが難しい熟語を使う時は、別の思惑があることが少なくありません。
たとえばこんな文章はどうでしょう。
<例1>
その時、私の心に不意に虚無が訪れた。
書き手はこうした表現を使うことで、何かしらを書いた気がするものだし、ぼく自身も「前科者」です。いやあ、こんな文章を書いていたかと思うと心底ゾッとします。今のぼくならばこう書く。
<例2>
その時、私は思いがけなく虚しくなった。
どちらがいいと明確に言えるものではないし、何かしら必然性があるのならば<例1>でもいいのでしょうが、「ほら、私ってこういうふうに書けるんですよ」というような書き手の思惑が垣間見えた瞬間、ぼくは一気に興ざめしてしまいます。
「てらい」という言葉がありますよね。漢字で書くと「衒い」、ひけらかすことですね。文章の技術や知識について、ひけらかしたいという思いが、ぼくたち物書きの最大の敵です。「自分をよく見せたいと思う気持ち」と言い換えてもいい。これが無意識に表れるので文章は恐ろしいのです。
また、文章が硬い印象になるひとつの要因としては、文語的表現、つまり前時代的な表現があります。たとえば反語だと、「家電量販店でさえ苦しむ時代、いわんや個人店舗をや、である」といった文章。
まあ、これはちょっと大げさだけど、「この店は酒をゆるりと飲むのに向いている」なんていう文はよく見かけます。思わず鼻をつまみますね、ぼくは。書き手のナルシシズムを感じるからです。
「文章が硬い」と言われるのは、もしかしたら、あなたの「てらい」を指摘されているのかもしれません。
もうひとつ、専門用語を多用している可能性です。あなたが「常識だ」と思っている言葉でも、一般的ではないかもしれません。まず、読者は「高い理解力があるものの、今から書こうとすることについては基本的に知識を持ち得ていない」という前提に立つことを忘れないでください。
そして、もしかしたら、こちらのほうが現実に近いかもしれませんが、傷つかないでね。「文章が硬い」と言われる時、その人は「わかりにくい」と指摘している可能性があります。「小難しくて、読みにくくて、内容が理解しにくい」。これを「硬い」と表現しているのかもしれません。
その場合は、またアプローチが変わってきますよね。たとえばロジックはしっかりと通っているか。プロットの組み立ては的確か。つまり「わかりやすい文章とは何か」について深く考える必要があります。
これってライターにとって、ある意味で永遠に問い続けるべきテーマだと言えるでしょう。となれば、あなたは今、ライター人生が始まるドアの前に立ったのかもしれませんね。
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