紋切り型とは、その名の通り、紋を切り抜く型のことです。そう言えばさ、家紋ってね、戦国時代に急激に種類が増えて、江戸時代、元禄の世になると、武家だけでなく庶民の間でも華美な家紋が流行したのだそうです。
「紋切り遊び」というのもありましてね。江戸時代から庶民の間で親しまれていたものなんですが、折り紙を折って、型紙どおりにくりぬくと、きれいな、そして物によっては、すごく複雑な紋ができちゃうんです。キットも販売されているので、一度やってみたいな、と……。
え? ああ、これ、ついこの前、美術系の原稿を書くために調べて初めて知ったんですよ。せっかくだから、ここはひとつ衒っちゃおうかと思いましてね。すみません、余計なことでしたかね。これは失礼。
紋切り型とステレオタイプ
そう、紋切り型の話です。つまり、その紋を同じように切り抜くための型のことを「紋切り型」といったんですね。転じて「決まり切ったやり方」を指すようになりました。英訳すると「ステレオタイプ」で、これは印刷タイプを複製するための固定した鋳型のことを指すらしいのです。
わお、紋切り型とステレオタイプ、「型通りの考え」や「決まり切った表現」を意味する言葉が、もともとは同じような効果を狙って使用されていた「道具」に由来するなんて。
「人類って文化や言語が違っても、やっぱり同じような思考をするんだ。というか、思考って、つまりは比喩なんだ!」
と、このことを知った時は、鼻息が熱く感じられるくらい興奮したのでした。……あれ、あんまり驚いてませんね。ぼくは「すごい秘密を知ってしまった」と、ひくひくと感動したのですがね。で、何の話でしたっけ?
ことわざはもちろん紋切り型
はいはい、覚えてますよ。紋切り型の見分け方ですね。ちゃんと、覚えてますって。たまにはね、ぼくも冗漫な文章を書いてみたいわけですよ、紋切り型を脱するためにね。
じゃ、本題。あなたの言う通り、慣用句はすべて紋切り型と言っていいでしょうね。夏の海水浴場は芋の子を洗うような人出で、そこにサメが現れて、人々は蜘蛛の子を散らすように逃げていったりするんですよね。
もちろんこれ、冗談で書いていますが、テレビのレポーターは、現在でも本当にこうした言い回しを使いますからね。新聞でも散見しますし、プロでそんな状態ですから、ブログやSNSなんかはもうひどいものです。
そんなとき、ぼくは思うのです。
「世界は紋切り型でできているのだ」
とね。
「猿も木から落ちる」「弘法も筆の誤り」はことわざでしょうが、慣用句との明確な分類は難しいし、やはり紋切り型です。知っていたほうがいいと思いますが、得意げに使われたときには、本を放り投げたくなります。
それにしてもさ、ことわざの例、あなたはなぜほとんど同じ意味のこの二つを選んだのでしょうか。「河童の川流れ」とか「麒麟の躓き」「上手の手から水が漏る」といった答えを強いられているのかと思いましたよ。
あるいは「医者の不養生」と「紺屋の白袴」とか。あ、この二つは意味が違うな。説明できますか。そう、実はぼく、紋切り型が気になりすぎて、なんだかすごく詳しくなってしまったのです。ある意味、紋切り型マニアでもあるのですよ。
「未来を切り拓く」はセーフか?
「店へと続くアプローチは…」という表現は微妙ですね。「アプローチ」は「門から建物に続く小道」という意味でしょうから、かなり大きな店舗をぼくは想像します。大規模店舗だったり、田舎のレストラン、そうだな、たとえばオーベルジュだったりでアプローチが店まで続いているのならば、そう書くしかない。
もし、「続く」がいやならば、「店へのアプローチは…」としたほうが、紋切り型である感じは減るように思えます。一方で「玄関へと続くアプローチは……」は完全に紋切り型になっているというのがぼくの認識です。たぶん、これは目にする(耳にする)頻度の問題なのでしょう。
「未来を切り拓く」は、紋切り型に決定。この言い回し、これまでにいったい何度読まされたことだろう。一生目にしたくない表現です。
でも、絶対にこれからも見るだろうね。企業を紹介する記事の締めくくりの部分に出てきたりするんだよ、平然とさ。ああ、やだね、やだやだ。
すべてを決めるのは誰だ?
さあ、そうなると、いったい紋切り型ではない表現ってなんだろう、という話になる。「喉を鳴らして水を飲んだ」はどうだろう。だめか。じゃあ、「ゴクゴクと水を飲んだ」は許せるか。だめだろうね。ぼくは使いません。
ここまで考えると、「いったいどう書けばいいのか」「残っている表現はあるのか」と不安になりますよね。たぶん、今のあなたはそんな状態なのでしょう。ほら、言ったでしょう。世界は紋切り型でできているって。あれ、ほんとなんだから。
それで結論なんですが、紋切り型を脱して、どう書けばいいのかという問いに正解はありません。あなたが書こうとしているその場面、その対象物がいったいどんな状態で、どのように感じられるのか。一つひとつ、一回いっかい、向き合うしかないのです。
面倒です。面倒だけど、そこから逃げないことです。明日も物書きでいたいならば、そこで踏ん張る。踏ん張って考える。考え抜く。それしかないんだ、と思うんです。
もうわかりましたよね。「その表現が紋切り型かどうか」は、あなたが決めるのです。厳しくするのも、ゆるめるのも、あなた次第です。それがすなわち「文章に対する美意識だ」と言っていいのかもな。はあ、自分で書いていて、震えますよ、まったく。
でもね、その苦闘が文章に味わいを生みだし、読者はそれを楽しむんじゃないか、といったことを、別のコラム「まとまりよくっちゃダメなの!?」で書きました。こちらも併せて読んでみてください。
紋切り型と戦え!
これ大きく書いて、デスクの前に貼っておくといいよ。