造語とは「新しい意味の言葉をつくる」こと。それが、どれほど大それたことかを知ったのは、今から25年ほど前に司馬遼太郎の『この国のかたち』に収録されたエッセイでした。
いま、本が手元にないので、記憶の限りで言えば、日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦に至る40年間を、司馬は「異胎」と表現しようと思った。ところが辞書を引いてみると、そんな言葉はなく、自身の造語であることに気づき、反省するというくだりがあったんです。
というわけで……
嗚呼、司馬遼太郎に許されていないことが、自分に許されることなどあろうか!
以上、これが「ぼくが可能な限り造語を用いない理由のすべて」です。
「だからあなたもやめておきなさい」で十分な答になっている気もしますが、良い機会ですので、もう少し造語のことを考えてみましょう。
造語を使わないのは不可能である
あなたのおっしゃるとおりで、造語を使って、読者にわからなかったら何にもならない、というのは、もうその通りでしょう。
でもね、たとえば「アベノミクス」はどうですか。ま、これは使わない手もある。じゃあ、「食育」はどうでしょう。「食に関する教育」と書くことが、果たして読者のためになるか。
あるいは「経済」だって、明治の造語だって言えるし、
「無意識って言葉、夏目漱石がつくったんだってよ」
「へえ」
なんて会話ができるのも、いまや無意識という概念が、この言葉とともに浸透し、流通しまくっているからですよね。
こう考えるだけでも、ぼくたちはすでに「造語を使わない」というのは無理なんです。だって誰が初めに用いたかがわかっている言葉は、すべて造語だと言えますものね。
あ、ちなみに「無意識」は漱石よりも古い用例があり、俗説なんだそうですよ。でも、心理学の発展に伴って、つくられた言葉であることは間違いありません。ぼくらの周辺は造語でいっぱいなんです、実はね。
ライターとして言葉に保守的でありたい
じゃあ、ぼくがどういう基準で使用するか判断しているのか、と言えば、基本的には「辞書に載っているかどうか」です。「掲載されているものは使えるが、ある程度、流通していても、載ってなければ使えない」と考える。
これ「使う」「使わない」ではなく、「使える」「使えない」としたのは、ぼく自身は辞書に掲載されていても「使わない」ものがけっこうあるからです。
たとえば「こだわり」を良い意味では使わないし、「死に様」は古くからの言葉だから使いますが、「生き様」はそこから連想された造語なので用いません。
すでに「こだわり」は辞書にポジティブな意味が載っていますし、「生き様」も掲載されています。でも使いたくない。これはぼくの好悪の問題です。文章を書く仕事をする人間として、その程度には保守的(伝統を重んじる立場)であろうと考えている、ということですね。
なので、ぼくが原稿に修正を加えうる立場だとして、辞書に載っているのならば他の人が使っていても、赤字は入れません。載っていない場合は、その造語を使うことがどれくらい効果的かを相談することになるでしょう。
「イケてる」は対話でも使わない
あなたの挙げている例で言えば、「目力」「美肌」「もち肌」は、ぼくにとっては造語ではない。ただ、ぼくは「視線に力がある」とか、「みずみずしい肌」「きめ細やかな、やわらかそうな肌」といったような表現をするだろうと思います。
「イケメン」「イクメン」はおそらく死ぬまで使うことはないでしょう。「イケてる」という表現は文章だけでなく、言葉として発することもないと思います。
新語の力に頼りたくない
ただ、広告コピーやブランドコンセプト、ネーミングの場合は、新しい言葉をつくることが少なくありません。造語の持つパワーを利用するわけで、ぼくは造語を否定しているわけではないんです。仕事の目的を達成するために必要であれば、どんどん使います。
ただ、雑誌や書籍の原稿を書く場合、造語の中でもとくに「新語」は基本的には使いません。それは伝わる人を限定することや、むしろすぐに古く感じさせてしまう危険性(ぼくの感覚だと「イクメン」はすでにすごく古い)などのデメリットがあるからです。
それから実はこちらのほうがぼくにとっては大きな理由なのですが、「その一語が持つパワーに頼りたくない」という思いがあります。新しい言葉は新鮮で、それだけで笑いや驚きを生む力を持っていることが多い。それに便乗したくないと考えるのは、ぼくが天邪鬼だからかもしれないけど。
おもしろい言葉を使わなくても、おもしろいことは書ける。これは「平易な言葉だけで、難しいことを説明できる」というのにも似ています。ぼくがそうした文章を指向しているということでしょう。
とか言いながら、ここに告白するならば、過去には造語を使うどころか、つくったことがあります。司馬遼太郎さま、お許しを!
『たぶん日本一“にゅわい”麺は二日酔いの救世主だ』
http://quitters.jp/2016/08/24/post-344/